観昌寺について
阿弥陀山 寶珠院 観昌寺
宗派本山
- 宗派
- 真言宗豊山派(関東を中心に全国約3000寺)
- 本山
- 「豊山 神楽院 長谷寺」(住所:奈良県桜井市初瀬)
本尊 宝冠阿弥陀如来像 (木造)
十三仏中の阿弥陀如来であるが、阿弥陀如来の頭上に冠をいただいているため宝冠阿弥陀如来と呼ばれている。戦国時代末期のものと推定されチベット系仏像の影響が色濃く残されており、知恵と延命の両面を持ち合わせた仏様である。像高52cm、台座を含めた総高は1mを超える。
歴史
建立年代は不詳。鎌倉時代末期から室町時代初期の頃に建てられた古い石塔が多数あることからこれ以前の建立であると思われる。
南北朝時代の地元の豪族であった大室太郎の墓とされる宝塔(赤城塔)があったことからも有力な寺であったことが推測できる。
中興開山の祖である慶円上人は天正八年(1580年)に高野山で学び金剛峰寺にて伝法灌頂を受けたのちに開山したと言われている。天明年間(1781年~)に第十三世尊清法印によって諸堂を整備し本堂の宝冠阿弥陀如来を刻んだとされる。
天保元年(1831年)から明治十七年(1885年)まで寺子屋として読書と習字を指導していたが明治十七年に本堂と庫裏を焼失する。現在の伊勢崎市赤堀町にあった廃寺を移築し再建する。昭和五十五年(1980年)には第二十七世賢淳和尚により本堂が新築され現在に至る。
建造物
多宝塔
平成5年に前橋市指定文化財となる。南北朝時代中期に建てられたと思われ仏教信仰に関わる貴重な石造文化財である。元は地方豪族であった大室太郎の墓と考えられており安山岩でできている。
虚空蔵菩薩
天明時代に東大室町の普蔵寺本尊を迎え入れる。
宝篋印陀羅尼塔
中国で延命のために諸国に建てられたものを模して供養塔・墓碑塔として東大室町多田組の有志により信濃国高遠から石工を呼び建立されたとされる。
石仏阿弥陀如来
光背に六地蔵を配している。阿弥陀浄土へ六地蔵が送り届けるという意味を持っていると思われる。室町時代末期に造られたものと推定される。
宝珠塔
聖観音像を抱く永代供養墓。
庫裏
明治十七年の消失後本堂と同じく赤堀町より国定忠治ゆかりの「お徳さん」が住居として使用していた家を移築したものである。こちらは法事会館としてご利用可能です。詳しくは法事会館のご利用をご覧下さい。
所在地
前橋・高崎方面と桐生・伊勢崎方面からのランドマークは国道50号線「東大室 西」交差点北上約2キロ。
上武国道(17号バイパス)からは「飯土井町」西濃運輸を北上3キロ。
北関東自動車道・波志江スマートインターから車で5分。